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在来品種の持つ欠点を小さくし、好条件の下ではha当り8トンもの収量をもたらす、正に革命的な品種であった。IR8の種子の農家への配布が進められて、アジアでは1967-68年稲作期には200万ha、1968-69稲作期には400万haと、その栽培面積は急速に拡大し、米の増産も進行した。
しかしながら、lR8は上述のような長所がある反面、病気に対する抵抗性が弱く、それまであまり見られなかったバイラス病が急速に増え、また、ウンカやヨコバエなど害虫による被害が増した。また、在来品種に比べて味がよくなかった。
このようなIR8の欠点をカバーするため、IRRIでは、ハイインプット技術からローインプット技術へ品種開発の修正が試みられ、IR8よりは草丈が高く病害虫に対する抵抗性の強い品種を目指し、1968年にはlR5、1969年にはIR20などが開発された。しかしながら、間もなく虫の方が順応してIR20に対する加害能力を強めてきたため、1973年には、ウンカ、ヨコバエ、ズイムシ、バイラス、白枯れ病などに強い品種としてIR26が推奨された。それも1976年にはインドネシアでトビイロウンカの新しい系統がでてきて、かなりの被害を受けてしまった。だが、1976年に発表されたIR36は、13の親の組合せから選抜されたもので多くの病気に対して強く、1982年には東南アジアで1千万haを越して作付され、全栽培面積の13%を占めた。
以上のように、新品種が開発され普及すると、それに順応した病害虫の新しい系統ができて改めて被害をもたらすといった、シーソーゲームが展開されてきた。従って、緑の革命は革命とはいっても一回限りのものではなく、新しい品種に対し何度も抵抗力を再取得して加害してきた病害虫との戦いの過程であった。(4)
尚、この開発の過程で重要なのは、緑の革命がアジア諸国に普及するに際して、各国の農業試験場でのローカルな在来品種との交配研究を通して、在来品種のもっている病害虫抵抗性や住民に好まれる味をIR品種に付加することにより、IR品種のもつ弱点を補完した、各国それぞれの地球環境に合った近代的品種を開発し、普及させたことである。このようなIR品種のローカル化があったからこそ、病害虫への抵抗力を強めたり、味を改善して、新品種の収量を安定化させるとともに価格の低下も防いで、多くの農民に受け入れられてきたのであった。

 

 

 

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